※本記事はiPhoneを枕詞に、久々に激しく脱線しております。ご注意ください。
こんな記事がありました。
秒刊SUNDAY:SIMロックフリーのiPhone4を一番安く手に入る国は…
「最も安い国」といっても、SIMロックフリーのiPhone 4を売ってる国での比較です。
これによると、最も安いのは”香港”だそうです。
ただし、価格は日本円で約5.4万円(16GB)、6.4万円(32GB)するんだとか。
SoftBankでの販売価格(ただしSIMロックあり)では、16GBが46,080円、32GBが57,600円ですから、やっぱり高いですね。
SIMロックフリーは高くなるという孫社長の言葉はうそではないようです。
SIMロック機を売ってるAT&Tでは、16GBが199ドル、32GBが299ドル(2年契約)だそうで、円高の今日ではSoftBankはやっぱり高いんじゃないか・・・と思われがちですが、SoftBankは値引きで実質16GBが0円(バリュープログラム 2年契約の場合)になります。
SoftBankモバイル:iPhone 4/3GS バリュープログラム
そう考えるとSoftBankって結構格安なんですね。
今後b-mobileの宣言どおりiPhone 4のSIMフリー機が輸入されたとしても、5.4万円以下にはなりようがないわけです(フレッツ光+あるプロバイダにはいるとSIMロックフリー iPhone 4が39,000円くらいで買えるという情報があったような・・・)。
こうしてみると、SoftBankの努力も評価しないといけませんね。
まして今香港iPhone 4が国内で10万円以上で取引されてる実態を考えると、どう考えてもSIMロックフリーてのは安上がりとはいえませんよね。
”SIMフリー = 安上がり”なんて幻想を抱いてはいけない、ということです。
日本人は”自由”という概念を誤解している、とよくいわれます。
”自由 = すばらしい”で済ませてますが、自由を得るのと引き換えに失うものがあることを忘れちゃいませんか?
”自由”を得るということは、一方で自分の身は自分で守るという義務が生じるわけです。
警察官がいなくなればやりたい放題の自由な国になりますが、そのときは多分”内乱”状態になります。
ちょうど戦国時代がそんな感じですね。
身分制度が事実上崩壊し、下克上で成り上がりの英雄が闊歩する”自由”な世界でしたが、一方で農民ですら武装して身を守らないと略奪・暴行が当たり前の時代でした。
”管理”、”束縛”てのは、一方では誰かが守ってくれるという一面があるのも事実。
(65年前までどこかの国は”束縛+守ってくれない”国でしたが・・・今でもそうか?)
自由な世界に行くためには、ある程度の覚悟が必要だということです。
SIMフリーなiPhone 4を手に入れてドコモで使おうとすると、設定から契約まで何もかも自分でやらなきゃいけない。
b-mobileを選択すると、さらにメールアドレスを別途取得しなくてはいけない。
決して楽な道じゃありません。
ただ・・・つくづく気になるのは、SIMフリーの議論が一方に偏っていること。
このマイナス面を強調した論調が多い気がします。
私がもし今iPhone 4を買うなら、多分SoftBankを選ぶでしょうね。安いですし。
でもSoftBankしか選択肢のない世界より、SIMフリー機に手を出せる”自由”はなきゃいけない気もします。
世の中、高くてもドコモエリアでiPhone 4を使いたい!!という人もいるわけです。SoftBankエリア外に住んでる or 活動してる人だっているんですから。
そもそもそのリスクを承知の上でSIMフリー機を手に入れたい、という願望を抱く人だっています。
香港iPhone 4が10万円以上でも売れてるってことはその証でしょう。
だんだん本題からずれていきますが、EeePCが出た時に私が感じた違和感と似たような状況になってますね。
当時「素人には使えない、性能が低い、安いだけでリスクが大きい”安かろう、悪かろう”なPC」というのが一般的な論調。
ネットしか使えない中途半端なPCということでついた名前が”ネットブック”
SIMフリー機も「リスクが大きい、値段が高い、素人には使えない、だからダメだ」という論調。なんか似てますね。
もちろん、わけもわからない人にSIMフリーがお勧めなんていいませんが、そんなこと百も承知の人だっているわけです。
EeePCのときの私は、まさに”百も承知”な人間でした。
いろいろと勉強になりましたね、EeePC 4G-X使ってた頃は。今考えるとずいぶんひどいスペックのマシンを5万近くも出して買ったものだと思います。
しかし当時格安で手にしたこの小型端末のおかげで、家の中なら枕元でもどこでもモバイルできる”自由”を手にしたわけです。
これがブログを始めるきっかけとなり、今に至るわけです。これだから人生わからない。
最近ネットブックの売り上げが激減してるそうですが、今度は”格安PCでしかなかったネットブックが・・・”みたいな論調が生まれてます。
PC online:不運と不作為が招いたネットブック失速 Windows 7を機に単価上昇、ライバル製品も増え四面楚歌
申し訳ないですが、ここにかかれた意見にはあまり賛同できませんね。
”木を見て森を見ず”的な感じがします。
歴史にifはタブーといいますが、あえてここで”ネットブックがなかったら”を考えてみます。
間違いなく言えるのは、PCがここまで低価格化しなかったでしょう。
重さ1kg以下のPCは10万円以上というのが”EeePC”登場以前の常識です。
これが常識でなくなったのは紛れもなく”EeePC”はじめネットブックの功績です。
フルサイズノートPCもつられてずいぶんと安くなりました。
XP → Vistaへの移行時に、一度ノートPCって値段が上がってます。10万円以下のPCがほとんどなくなってしまいました。
EeePCをはじめとするネットブックが登場していなければ、未だにPCの相場は10万円以上だったかもしれません。
Windows 7だって、あんな形で登場できたかどうか。
ネットブックが、一度販売終了を宣言されたXPを復活させ、軽量OSの願望が強いことを示したわけです。
もしネットブックがなければ、多分今頃”必要メモリ8GB”の超重量級Windowsが登場していたかもしれません。
私個人としては、ネットブックなしにはiPadも登場してなかったと思ってます。
iPod touchという製品がありながら、わざわざ10インチというサイズの製品をだしてきたのは、どう見ても10インチが主流となったネットブックを意識していないとは思えません。
バッテリ駆動時間の長さにあそこまでこだわったのは、どう考えてもバッテリ駆動時間の長いEeePCを意識してたんじゃないかとかんぐってます。
「低性能、低価格、軽量OS、ネット接続がメイン」という端末利用法をここまで一般化したのは、やはりネットブックの功績じゃないでしょうか。
これがあまりに常識になって忘れてますが、ネットブック以前では”高価でも高性能こそ命”が常識だったんですから。
そう考えると、iPadでさえネットブックの敷いたレールの上を走っているのに過ぎないんじゃないかと思っております。
ネットブックが売れなくなったのは、その志を受け継いだ商品が出揃ってきたため役割を終えたと考えるのが正解では。
”四面楚歌”も何も、”四面ネットブック化(?)”になっただけ、ただそれだけじゃないかと。
・・・ずいぶんと脱線しましたが、結局何が言いたいのかといえば・・・
ネットブックは多くの批判を浴びながらもここまで時代を変えてしまいました。
”大変革”の前には既存勢力の激しい抵抗があります。
ネットブックでもPCの低価格競争を望まない勢力があれだけ必死に抵抗したわけですが、結果的に時代は”PCのネットブック化(低価格化)”にすすんだわけです。
SIMロックフリーについても、どちらかといえば批判的な意見が多いですね。
でも、もし潜在的にこれを望む人が多ければ、これをきっかけにまた時代が動くような気がします。
戦国時代といえば、織田信長も”楽市楽座”、”関所撤廃”を掲げて天下統一に向けて動いたとき、その既得権益を守ろうとする集団から包囲される状況に陥ったわけですが、現在を見るとその”楽市楽座”なんてものはほぼ常識となってます(一部業種は微妙ですが)。
それまで非常識だったものを常識に変える、これをなしえた者を人は”英雄”と呼んでます。
そう考えればネットブックだって”英雄”なわけです。10年後にはb-mobileが”英雄”になってるかもしれません。
もっとも、英雄だからといって生き残れるわけではありません。信長にしても”本能寺の変”で消えたわけですし。
でもその志は多くの人が望んだからこそ、めぐりめぐって信長の唱えた理想が”常識”になってしまったわけです。
ただ、一度”常識”になると、”一体、信長って何やった人?”のようになってしまい、ただその”すげえやつがいた”という記憶のみが残る。
せめてその時代に居合わせたからには、”英雄”の作り上げた常識を忘れないようにしたいものです。
・・・本当は”やっぱりSIMロック機の方がやすいよ~”くらいの話で終わらせるつもりが、ずいぶんと長文・駄文・脱線記事になってしまった。
悪酔いしたかな・・・今日は”糖質0”の発泡酒を飲んだのがいけなかったのか?
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